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★「聖アンドレイ・ペルボズバニー財団」2度目の訪問

活動最終日の7月20日(月)、「聖アンドレイ・ペルボズバニー財団」では、私達の真意を高く評価して下さり、午前9時から、なんと2回目のスペシャル会合開催となりました。
今回は、まず施設内の見学から開始。世界的にさまざまな活動を展開している財団ですが、その活動風景が、壁に展示された数多くのパネルから伝わってきます。
会議室には、前回同様、下記の如く「聖アンドレイ・ペルボズバニー財団」の主要な方々がご列席なさり、和やかな雰囲気で始まりました。
☆オフチャロフ アレクサンダー:スヴェルドロフスク州知事の代表
☆バイダコフ ミハイル:聖アンドレイ・ペルボズバニー財団会長
☆ヤクニナ・ナタリヤ:“母性の神聖”ロシア国民プログラム会長
☆ヤクシェフ ミハイル:聖アンドレイ・ペルボズバニー財団副理事長

冒頭、財団会長より、「十字行」参加の御礼が述べられ、赤堀代表からは、初参加の感動と財団やスヴェルドロフスク州議会関係者の真心こもったサポートに対する深い感謝の思いが述べられました。
「家族を大事に、未来ある子供たちを大事に!子供たちの将来について真剣に考えていかないと世界は崩壊しかねない。私達の“命の基本”を守っていきましょう!」との財団会長のお話しに、心より感動。
南先生からも、「愛と親切と弱い人達を守る、というサムライ精神のロシア人の皆さんにたくさん出会え、感謝申し上げます。日本のサムライとロシアのサムライの心の交流を高めていきましょう。」とお礼の言葉。
薩摩とロシアとのこれからの「心の文化の交流」に向け、様々な意見が交わされ、共通認識を高めることができました。素晴らしい方々との出会いと交流に、心より感激の気持ちでいっぱいです。

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★ Russia Culture (National TV)での単独インタビュー

「聖アンドレイ・ペルボズバニー財団」訪問後、国営放送TV局Russia Cultureでの赤堀代表単独インタビューが予定されておりましたので、実は、財団会議室隣のお部屋で、薩摩武士装束に衣装替え。財団の皆様も、目の前のサムライ赤堀に大感激のご様子でした。
財団の皆様にお別れを告げて、私達は、国営放送TV局Russia Cultureへと移動。
入退出も厳しいチェック体制の中、赤堀代表はスタジオへ。私達は、コミュニケーションルームにて、お茶タイム。動画情報も届いておりますが、お楽しみに。。。

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★クレムリン宮殿訪問

取材を終えて、私達が向かったのは、なんとクレムリン!
厳重な検問所を通過し、石造りの城塞内にマイクロバスは進み駐車。
モスクワのクレムリンは、南をモスクワ川、北東を赤の広場、北西をアレクサンドロフスキー公園によって囲まれたほぼ三角形の形で総面積は約26ヘクタール、とのこと。
城壁に囲まれた構内には、大小新旧様々の宮殿(パラーダ)、聖堂建築、20の塔(バーシニャ)が、威風堂々の様相で建立されており、構内は、かなりの観光客でにぎわっていました。まるで、おとぎの国に迷い込んだような錯覚。素晴らしい建造物に只々圧倒されながら、散策を楽しみました。「聖アンドレイ・ペルボズバニー財団」副理事長ヤクーシェフ氏のご案内で素晴らしい名所散策となり、心に残る思い出深い有意義なひと時を過ごすことができました。
今回の充実の視察訪問実現は、ひとえに「薩露交流促進協議会」代表の赤堀憲夫氏とリャボフ オレグ氏の10数年がかりの継続努力の賜物!!
これからが本番!「心の文化の交流」を深め、薩摩、鹿児島の素晴らしさアピールに、これからも真剣に取り組んでまいります。感謝!

★★★★★
ご参考までに
原型は12世紀に築かれ、天然の要害が1366年石造りの城塞として再建された。
ウィキペディア情報によると、「15世紀後半、イヴァン3世(イヴァン大帝)の治世に、進んだ築城術が導入され、ルネサンス風に全面改築がなされた。この時期には、代々のツァーリ(ロシア皇帝)が戴冠式を行うことで知られるウスペンスキー大聖堂(1479年再建)、ブラゴヴェッシェンスキー聖堂(1489年建立)、ツァーリの納骨堂のあるアルハンゲリスキー聖堂(1508年建立)の三大聖堂や、イヴァン大帝の鐘楼(1508年建立)が建立され、現在とほぼ同じ外観を持つに至った。」とあります
また、「17世紀には城門にゴシック風の塔が加えられ、娯楽宮、モスクワ総司教館が新築されたがピョートル1世によって、1712年にサンクトペテルブルクに遷都されて以降、ク増改築は停滞した。」とあります。
更に、「1812年、ナポレオン・ボナパルトのモスクワ占領により、クレムリンの一部が破壊されたが、その後修復。さらに、大クレムリン大宮殿(1849年建立)や武器宮殿(1851年建立)が新たに造られ、1917年のロシア革命以降はソビエト政府の中心となった。」と説明されています。